DQN架空鉄道探訪シリーズ

月　見　鉄　道

月光に照らされた雪の無人駅に３両編成の電車が到着し私は２両目に乗り込む。
年季の入ったロングシートに乗客は疎らで、私は適当な場所を見つけ腰掛ける。
車掌が笛を吹き電車が走り出す。駅を出てしまうと周りに灯りは見つけられない。
鈍く光る木の床からモーターとギアの音が低く響き、
私はそれを聴きながら小一時間眠っていこうと思う。
連結部の扉が開き、貧相な小男がふくらんだ紙袋を持って入ってくる。
男は紙袋から古雑誌を取り出しては網棚に置いていく。
斜め前の灰色のセーターの女が網棚から漫画雑誌を取り読み始める。
加速を終えた電車の音が変化する。
床から聞こえるのは足踏みミシンの規則的な音だ。
カタカタカタカタカタタタタタタ。

正面に見える木枠の窓からは星空が見え、自分の姿もそこに映っている。
自分の横に魚の群れがいる。振り向くと反対側の窓の外は海中だ。
向き直って目を閉じる。小一時間眠っていこうと思う。
声がして目を開く。
連結部の扉の前に車掌が立っている。
整えた口髭に片手を添え、もう片方の手で蝙蝠傘をさしている。
制服の上から黒い外套を着ている。腰に焦げ茶の革鞄。
傘を持っていない方の手で敬礼をしてから、硬い表情で軽く頭を下げる。
漫画雑誌を見ている女が声を出して笑っている。
カタカタカタカタカタタタタタタ。

車掌は鞄から白い鶏卵を取り出すと、器用に片手でそれを割る。
卵の中身が床に落ちていく。
ここからはっきり見えるのはそれが大きいからである。
バスケットボール大に見えたそれは実はもっと大きい。
木の床を大量の白身がどろりと流れてくる。
買ったばかりの革靴を汚さぬよう両足を持ち上げてみたが無駄で、
私の足首までが白身に浸かっている。
そしてこちらに向かって、通路いっぱいの大きさの黄身が、ゆっくり流れてくる。
カタカタカタカタカタタタタタタ。

女は相変わらず笑っている。
弾力のある黄身が目の前を通過する。
黄色いぬらりとした表面に沢山の蟻が這っている。
滑り落ちそうになって慌てているようにも見える。
黄身の後を、同じ速度で車掌が歩いてくる。傘をさしたままである。
傘を見上げると、その上は明るい夜空で、雨も雪も降ってはいない。
距離感の狂った星空に、カバーの掛かった扇風機が浮いている。
扇風機の斜め上に満月が見える。
カタカタカタカタカタタタタタタ。

大きな黄身は表面に満月を写し、蟻を這わせながら通過していく。
女が裸の乳房を揺らして大笑いしている。
セーターが消えている。
傘をさした車掌が女に向かって注意している。
ここでは眠れないと思い、席を立つ。
卵が通過して滑る床を慎重に歩いて連結部の扉を開く。
隣の車両まで、５メートルほどの吊り橋が揺れている。
木製の吊り橋には沢蟹が這っている。ミシンの音が大きく聞こえる。
カタカタカタカタカタ。カタカタカタカタカタタタタタタ。

面倒になって向き直ると、目の前いっぱいに黄身が迫っている。
躊躇せず薄皮を破って黄身に入っていく。ミシンの音が消える。
黄色く柔らかい光に包まれて、ここなら眠れるかもしれないと思う。
しかしあっけなく反対側に出てしまう。
制動がかかって速度が落ちていく。駅が近いのかもしれない。
車掌の姿が消えている。漫画の女は車掌の外套を羽織っている。
私は次の駅で降りることにする。
ミシンの音が変化する。
カタカタカタカタカタタタタタタ。タタタタタタ。タタ、タタタタ。

自動扉が開き、私は電車を降りる。
降りたのは私だけだ。この駅にも雪が薄く積もっている。
すぐに電車は出て行き、無人の駅に私は残される。
電車は線路ではなく小川を流れていく。
小川に満月が映って揺れている。
尾灯の赤い光がそれに混ざって滲んでいる。
私は駅舎を通り抜け、闇の中に消えていく。
次の電車が来るまでに、月見蕎麦を食べようと思う。
遠くでミシンの音がする。