大陸横断地下鉄道

深夜、大きな旅客駅を出た列車は、ゆっくりと速度をあげながら長い鉄橋を渡りはじめる。重量感のある鉄の響きを聴きながら、結露して凍った窓から広い星空を眺めていると、地球ではないどこかを走っているようにも思えてくるのだが、それは地球の広さというものを今まで知らなかったというだけの事かもしれない。コンパートメントの扉はすべて閉じられ、通路の照明も暗く落とされている。さっきの旅客駅から乗ってきた客も、すでにベッドで眠っているのだろう。

　鉄橋を渡り終えると、風景は針葉樹林の暗いシルエットの、単調な繰り返しになった。おそらくこの先何時間も、この車窓が続く。

「日本の方、ですよね？」
　声に振り向くと、若い女性がひとり立っていた。黒いゆったりとしたセーターにジーンズ姿。昨日この列車に乗る時に見かけた二人組のどちらかだろう。隣の車両に乗ったはずだ。
「友達が先に寝ちゃったんです」
　私の横に並んで立つ。二十歳くらいだろうか。
「大学生？」
「ええ」
「珍しいね。飛行機が普通の時代にこんな列車の旅なんて」
「気に入りました。なんかのんびりしていて」
　鋭い警笛が鳴り、長い貨物列車がすれ違って行く。
「どこまで？」
「終点までです」
「ずっと乗りっぱなしで？」
「ええ。ヘンですか？」
「いや、いいと思うけど」

貨物列車は遠くに去り、車窓は単調な風景に戻った。
「どちらまで？」
「僕は途中で降りる。明日の朝早く着く駅。発音が難しくて言えないんだけど」
　彼女が小さく笑った。
「観光ですか？」
「ちょっと見たいところがあってね。君は？」
「わたし、この大陸を見てみたくて。飛行機で上から眺めるのではなく、こうして地上を走りながら」
「この大陸を？」
「ええ。わたしのおじいちゃん。あ、母方の祖父なんですけど、戦争で負けて捕虜になって、この大陸で亡くなったそうなんです」
「そうなの」
「強制労働っていうんですか？寒い中働いて、身体を壊して。その場所、どこなのかはわからないんですけど、この大陸のどこかなんですよね。この広い景色のどこか」
　彼女はずっと窓を見ながら、そんな事を語った。
「ごめんなさい、わたしの事ばかりで。さっきのお話、見たいところってどんなところなんですか？」
　窓ガラスに話しかけるような、そんな話し方だった。

「この大陸に地下鉄の計画があったのを知ってる？」
「え？」
　彼女がこちらを見た。
「東西冷戦時代、というのがあったのは知ってるよね？」
「ええ」
「鉄道は軍事的にとても大切な施設だ。だけど偵察衛星から丸見えで、いつ何をどこに運んでいるか相手側に知られてしまう」
「はい」
「そこで考えた。線路を地下深く通して、そこに貨物列車を走らせる」
「でも、それは」
「そう。無茶な話だよね。今までそれは噂話、馬鹿話の域を出ないものだった。だけど、最近になって、当時の資料が公開されたんだ」
「資料？」
「そう。地図上に引かれた路線計画、途中につくる駅、工事の方法、中を通す機関車の設計図など。最重要機密だった文書らしい」
「すごいですね」
「実は計画自体は戦前からあって、実際に試験的にトンネルを掘ったところもあったんだ。それも最近わかった。」
「それが」
「そう。明日そこに向かう。駅から北に二百キロくらい行くらしいんだけどね」
「わたしの祖父も、そういうところで働いていたのかもしれませんね」
「うん。しかし何千キロもある地下鉄なんて、とても正気とは思えないよね」
「ええ。でも夢がある」
「あるかな」
「ありますよ」

窓が暗くなった。トンネルに入ったのだ。音が大きくなり、並んだ二人の姿がガラス窓に強く映る。
「こんなふうに何日も地下を走るんですね」
「嫌だろうね。運転士は」
「そうですね。あの・・・」
「何？」
「あの、嘘なんです」
「え？」
「祖父の話です。おじいちゃんまだ生きてるの」
「生きてる？」
「強制労働も何も、戦争にだって行ってないんです。ごめんなさい。私・・」
「いいよ、気にしていないから」
「私、話を作りすぎるって、いつも言われるんです。ごめんなさい。誰かとお話がしたくて。この景色を見ていたら、つい」
トンネルを抜ける。ただの闇のように思っていたが星空は明るい。
「あの・・」
「何？」
「わたしたちも一緒に降りていいですか？明日」
「明日？」
「見てみたいんです。その、掘りかけのトンネルを」
「トンネルね」
「トンネル・・・」
「無い」
「え？」
「トンネル、無いんだよ。君のおじいさんが生きているのと同じように」
「はぁ？あ。」
「ごめん。こっちも話作ってた」
「どうして」
「どこまでも変わらないようなこの景色見ていたらね、ここに地下鉄引いたらどうかなぁ、なんてね。ちょっと思って」
「すごい事考えますね」
「信じた？」
「ちょっとだけ」
「ちょとだけ？」
「うん。地下鉄計画の書類が出た、っていうところで、目が輝いてました」
　笑いながら、彼女が言った。
「だから、夢があるな、って」
「ばれてたのか」
「ちょっとだけ。嘘かな、本当かな、なんてね」
「優しいんだね」

　背後で太い声がした。二人で振り向くと、車掌室の前に車掌が立っている。手に湯気のたつ紅茶のグラスが二つ。こちらに差し出しながら「飲みなよ」と笑った。列車は心地よく揺れながら、冷たい星空の下を走り続けている。