DQN架空鉄道探訪シリーズ
真夏の夜の始発駅
近くに国道があり、そこそこの交通量もあるのに、蝉の声しか聴こえてこない。おそろしいほどたくさんの蝉が鳴いている木立の中を歩いて進んで行くと、駅舎が見えてきた。JRローカル線の無人駅から歩いて５分くらいだろうか。吹き出る汗をハンカチで拭う。
コンクリート二階建ての小さな古い駅舎だ。アルミサッシの引き戸を開けて中に入ると、少しだけ涼しい。天井で扇風機の羽根がくるくる回転している。元は出札口だったらしい木の窓枠には、プラ板とテプラで作られた路線図がはめ込まれ、大きな字で「全線４００円、小児２００円」とある。
出札窓口の横に、ゲームセンターにあるような両替機が１台と、古い「ガチャガチャ」の機械が３台並んでいる。２台は「おとな」、１台には「こども」と書いた札が付いている。「おとな」の機械に100円玉を４枚セットしてレバーを回すと、カプセルに入った切符がごろりと出てくる。切符を取り出し、空のカプセルを横の段ボール箱に入れる。切符は硬券というのか、しっかりした厚みがある懐かしい感触のものだった。
出札口の発券はこのように自動化されているが、改札には人がいた。半袖の白いシャツにきちんとネクタイを締め、赤と金の帯がある制帽をつけた老人が、背筋をのばしてじっと座っている。仙人のように白いあご髭を長く伸ばし、半開きの目はどこを見ているのかわからない謎の表情だ。かなりの高齢なのではないだろうか。そっと切符を差し出すと、意外な素早さで切符をとり、鋏を入れて手渡してくれた。視線は前方に向けたまま腕だけが動いた印象だ。
改札の先にある引き戸を開けてホームに出る。相変わらずの蝉の大合唱である。元は売店があったような広さのスペースには、氷水を入れた桶にラムネの瓶が並んでいる。店番のおばちゃんはパイプ椅子で居眠りをしている。
発車時刻表を見ると「13時から16時」というアバウトな枠の中に「１本」と書いてある。この３時間のどこかで１本走るということだろうか。その１本らしい電車が今ホームにいる。なんと表現すればいいのか、赤系統の暗くくすんだ色に塗られた電車が一両、ホームにいる。ドアは開いているので中に入る。
ボックスシートの車内に数人の客がばらばらに乗っていて、いつなのかわからない発車を待っている。乗務員が乗っている気配はなく、天井の扇風機が車内の熱い空気をかき混ぜている。全開の窓からは蝉の声が流れ込む。空いている席に座り、目を閉じる。蝉の声の他に、どこからか風鈴の音も聴こえてくる。そして扇風機のぶーんという動作音…。
眠ってしまっていたようだ。あたりは薄暗く、夕方になっている。まわりの乗客は乗ったときと変わらない様子だ。時計を見ると18時を過ぎている。かすかに蚊取り線香の匂いがした。様子を訊こうと近くの席まで移動すると、むこうから先に話しかけてきた。50歳代くらいの小柄な女性だ。
「いつになるかわかりませんよ」
「え？」
「いつ出るか、わからないのよ」
「わからないんですか？」
「そう、これ、本当なら昨日の終電なの」
「それでも待っているんですか？」
「そう。いつ出るかわからないんだもの」
「昨日からずっとここに？」
「そうよ」
笑顔で応じられるとこちらの疑問が宙づりになる。
「もうすぐお弁当を売りにくる時間だわ」
「え？」
「だって、いつ出るのかわからないんだもの」
あたりが暗くなった頃、籐の籠を持ったおばちゃんが乗って来た。
「ほら、来たでしょう？」
「はい弁当〜 はい弁当〜」
小さな売り声で車内を歩いてくるのは、ラムネ売り場で居眠りをしていた人だ。席の女性が弁当おばちゃんを呼び止める。
「はい弁当〜。ネギ、ショウガ、ニンニク、ワサビ、パクチーもありますよ〜」
「わたし、パクチー。お兄さんは？」
「え？あ、はい。じゃ同じのを」
「はーい、パクチー弁ふたつね」
おばちゃんは小さな包みを二つ、こちらによこす。いつのまにか弁当を買っている。
「はい二つで千円ねー」
席の女性が二つ分を払ってくれた。
「お兄さん、そこに掛けなさいよ。一緒に食べましょう。この電車いつ出るのかわからないんだもの。お茶もあるから、ね」
ポットの麦茶を分けていただき、ボックス席で向き合って米とパクチーだけの弁当を食べ終わっても、案内放送も何もない。
「駅員さんに訊いてみましょうか？」
「行っても何もわからないと思うわ。いつもそうだもの」
「いつも？」
「そう。いつもこうなの。もう寝ましょうか。いつになるかわからないし」
「え？」
「疲れたわ。失礼しますね」
女性は持っていた鞄を枕にして、シートに仰向けになった。
「そこにいてくださらない？男の人がいてくれると安心だから」
両手を胸の上で組み、膝を曲げた姿勢でこちらを見ている。立てた膝からスカートが少しずれて、白い脚が露わになる。
「そこにいてくださいね」
女性は目を閉じ、寝息をたてはじめる。半袖の白いブラウスの下で胸がゆっくり上下している。
弁当の包みをまとめて捨てておこうと席を立つ。
「そこにいてって言ったでしょう」
目を閉じたまま、女性が言った。