DQN架空鉄道探訪シリーズ
駅長室
駅長室には小さな木の机と石油ストーブがある。時計や、列車の運行に必要なものも備えてある。駅長室という看板が出ているが、実質的には駅事務室であり、出札窓口でもある。この駅に常駐しているのは駅長ひとりだけだから、この駅に関することはすべて駅長が行う。ホームやトイレの掃除も含めて。
石油ストーブの上には大きなやかんが乗っている。ひとり用としては大きすぎるが、ストーブの大きさとのバランスはよい。やかんの湯を使って緑茶やコーヒーを飲む。列車が来るのは一日に数本である。居眠りしないように気をつけるのも駅長の仕事だ。
出札口に置いたベルが「ちん！」と鳴る。客だろうか。はぁい、と声を出して応じ、小さな硝子窓を開ける。
「あ、駅長さん、これね、お芋煮たから持って来たの。食べて」
近所の奥さんだった。小鉢に入った煮物をいただく。
「いつもすみませんね」
「駅長さんにたべてもらえればね。いいの。うれしいの。じゃあまたね」
この駅にやってくるのはこうした「乗らない客」のほうが多いが、そのことに特に不満はない。だれでも歓迎だ。
ちん！の音に応じ窓を開ける。
「駅長さん、ちょっと伺いますがね」
「はい。何でしょうか？」
「昨日の終電ね、もう出ちゃったかしら？」
かなり年配の御婦人だ。ほぼ毎日来て、毎回同じ質問をする。
「ちょっと待ってくださいね」
駅長は分厚い時刻表を机の上に開き、老眼鏡をかける。
「昨日の終電ね。あ、これね、昨日の夜に出ちゃいましたね」
「ああ、そうですか。出てしまったのね」
「はい」
「ありがとうございます。わざわざ調べて頂いて」
「いいえ、仕事ですから」
「ありがとうございました」
品のよい笑顔を残し、老婦人は去って行く。駅長は時刻表を閉じて元の棚に戻す。まもなく「今日の」終電がくる。
ちん！
「はぁい」
駅長が窓を開くと、若い女性が立っている。たまに見かける人だ。今日は顔色がわるい。
「駅長さん」
「はい。何か？」
「駅長さん、わたし、夫を殺してしまいました」
「それは大変だ」
「わたし、どうしたら」
「どうしたいのですか？逃げますか」
「わからないんです。どうしたらいいか」
「とりあえず、次の列車にのりましょうか。もうすぐ来ます」
「はい..」
「二つ先の駅で降りてください。駅前に小さな旅館があります。わたしが電話で話しておきますから、駅長の紹介で来たと言ってください」
「はい…」
「何も考えずに一晩泊まって。明日、そのまま逃げてもいいし、ここに戻ってきてもいい」
「でも」
「はい、これ切符ね。宿のお金は気にしないで」
「ありがとう、駅長さん」
「列車が来ますよ。今日の最終」
「ありがとう」
２両連結された気動車が来て、彼女が乗ったのを見届ける。列車からは女子高校生が二人、降りてくる。駅長に小さく手を振って駅を出て行く。彼女たちの通学定期券の期限は知っているし、いちいち確認はしない。持っていないとしても顔パスである。
終電を見送って駅長室に戻り、やかんの湯で緑茶を飲む。このあと構内の点検をして店じまいだ。
ちん！とベルが鳴った。駅長は立ち上がり窓を開く。男子高校生が立っている。深刻な表情だ。
「終電はさきほど出ましたが」
「あの、そうじゃなくて」
「はい？」
「ちょっと話を聞いてほしくて」
「長くなる？」
「いえ、あの、わかりません」
「寒いから入りなさい、そこのドアから」
「はい」
高校生が入ってくる。駅長は椅子をすすめて、木の机で差し向かいになる。
「コーヒー飲む？インスタントだけど」
「いえ、あの、けっこうです」
「ほんとに？」
「はい。あの、おかまいなく」
「そう。で、話というのは何かな」
「あの、駅長さんなら聞いてくれるんじゃないかと思って」
「うん、聞きますよ。何だろう」
「あの、僕、椅子になりたくて」
「え？いま何と言いました？」
「椅子になりたいんです」
「ほう。椅子に」
「はい」
「椅子になるというのは何かの例えなのかな」
「ちがいます。本当に椅子に」
「わかった聞きましょう」
三十秒くらいの間があった。高校生は駅長の目を見て言った。
「僕、グリーン車の椅子になりたくて」
「グリーン車の？」
「はい」
「椅子そのものに？」
「そうです。グリーン車の椅子として生きて行きたいんです」
「ひとつ聞きたいんだけど」
「はい」
「わたしは君の話をただ聞けばいいのかな。わたしの力では君を椅子にすることはたぶんできない」
「わかっています」
「聞けばいいんだね」
「はい」
長い夜になりそうだと駅長は思った。
「やっぱりコーヒーを飲もう。わたしが飲みたくなった。話はそれから聞きましょう」
「はい。ありがとうございます」
グリーン車の椅子になりたい高校生は深く頭を下げた。通学鞄からノートを取り出し、机の上に置いた。ノートの表紙には黒く太い文字で「椅子」と書いてある。